今日は、あまり大きな声では語られない話をします。
でも、塾講師として長年子どもたちを見てきて、
どうしても避けて通れない話です。
今日はまず、「遺伝」について。江戸時代は、殿様の才能は、「氏が半分、育ちが半分」といわれました。つまり、遺伝的要素が5割、環境と教育が5割ということです。
さて、令和の現代、この説は概ね正しいのでしょうか??
勉強の得手・不得手に、遺伝は確実に影響します
結論から言います。
勉強が得意か、苦手かについて、遺伝の影響はかなり大きい。
おそらく、三要素の中で最も大きい。
これは、才能至上主義を言いたいわけではありません。
ただ、現場に立っていると、どうしても感じてしまうのです。
「この子は、ここまでが伸びる範囲だな」という
「ある種の“天井”」の存在を。
努力で伸びる部分と、限界がある部分
よく使う例えがあります。
マラソンは、練習すれば多くの人が完走できます。
でも、2時間ひと桁分で走れる人は限られています。
努力で伸びる部分は、確実にあります。
一方で、どれだけ努力しても越えられない領域も、確実にあります。
大切なのは、努力を否定することではなく、限界を見極めることです。
天才は、たしかに存在する
もちろん、例外はあります。
いわゆるギフテッド。突然変異的に、圧倒的な能力を持った子。
はんじろう塾の経験でも、高卒(一流大学卒ではなく、親が天才ではないという意味で使っています)のご両親から生まれた、IQ160の子がいました。
小2ですでに大学入試レベルの物理を解き、英語・北京語・スペイン語を操る。
こういう子は、確かに存在します。
ただし――
極めて少数です。
親御さんも子どもへの対応に困惑していて(スペイン語や北京語はわかりませんからね)、周囲の人からも「頭がいいなんていいじゃない」とばかり言われ、孤立気味でした。どんな子育ても大変です、ということが言いたいことです。
*そのときに調べたことがあるのですが、IQ130くらいだと200人に数人いますが、160超えだと2万人に1人くらいだそうです。
「まあ、私の子だからね」という諦め
だから、ほとんどの場合、保護者にはこれくらいの距離感が必要だと思っています。
「まあ、私(俺)の子だからね」
この言葉には、冷たさではなく、健全な諦めがあります。
この諦めがないと、子どもも、保護者も、どこかで壊れてしまう。
一番つらいのは「叶えられない欲望」に焼かれること
塾講師として、いちばん手に負えないのは、
絶対に叶えられない欲望の炎に焼かれながら、必死に努力し続けている子どもと保護者です。
本当に一生懸命やっている。態度も真面目。宿題もやる。でも、結果が出ない。
見分けるための、ひとつの指標
そういうケースには、共通点があります。
① 転塾を繰り返す
② 転塾しても成績が変わらない、もしくは下がる
③ それでも勉強量・努力量は多い
④結果、時々、ぶつっと切れる(文字通りキレて怒ることもあれば、ただ放心していることもある)
この場合、環境や、親や、教師や、塾講師の問題ではないことが多い。
単純に、その子の強みが「勉強ではない」というパターンです。
本当は、勉強以外の「学び」を伸ばしたほうがいい
こういう子どもは、別の能力を伸ばしたほうが、明らかに幸せになれます。サッカーでもいいし、ガーデニングでもいいし、料理でもいい。
でも、塾は「学習をする場」です。システム上、人生の方向性そのものを転換させる指導は難易度MAXになります。
正直に言えば、このタイプの指導は、かなり険悪な雰囲気になることが多い。ぼくは、、、なんどもやりましたが正直もうしたくありません。
まとめ:夢と現実の「中庸」をどう持つか
「人間は何にでもなれる」
「夢は努力すれば叶う」
この教育は、とても大切です。
でも同時に、その害(デメリット)も理解しておく必要があります。
夢を信じることと、現実を直視することは、矛盾しません。
徳川家康は、遺訓でこう残しています。
「及ばざるは、過ぎたるに優れり」
*足りなかった、というのはやりすぎてしまった、というよりはマシである
やり過ぎてしまうと、取り返しがつかないことが、この世には確かにあります。
子育てにおいても、「信じること」と同じくらい、「引き際を知ること」が大切なのだと、私は思っています。

