「学習不要論」を信じ切ってしまった中学2年生の話

― 保護者のみなさまに、考えていただきたいこと ―

先日、ある中学2年生が塾をやめたいと言い出しました。
理由は、成績でも人間関係でもありません。

彼の主張は、次のようなものでした。

「2045年までにシンギュラリティが来る。
そうなれば人間は労働から解放される。
その世界では、勉強ができるよりもゲームがうまいほうが評価される。
だから今はゲームに集中したい。塾はやめる。」

かなり極端な意見です。
正直に言えば、その実現可能性は誰にも分かりません。

来るかもしれないし、来ないかもしれない。
部分的には起こるかもしれないし、想像とは全く違う形かもしれない。
少なくとも「勉強が完全に不要になる社会」が、彼の想定どおりに訪れる可能性は高くない、というのが私の見立てです。

ただ、今回の本質的な問題は未来予測が当たるかどうかではありません。


問題は「一切疑っていない」こと

一番の問題は、彼がこの考えを 一ミリの曇りもなく信じ切っていた ことでした。信じるというより、それにすがるという感じです。

「本当にそうなるのか?」
「そうならなかった場合はどうするのか?」
「別の考え方はないのか?」

こうした問いが、まったく存在しない。

純粋と言えばそうですが、厳しい言い方をすれば中学2年生として必要な『知性』がほぼほぼ働いていない状態だと感じました。


知性とは「すぐに結論を出さない力」

私が考える知性とは、知識量の多さや要領の良さではありません。要領は性格的なものであり、知識は知性の前提条件です。ないと話にならないです。

  • 「そうかもしれないが、違う可能性もある」

  • 「今はまだ判断を保留しよう」

と、簡単に断定しない力のことです。

この力は、生まれつき備わるものではありません。
教科書を読み、文章を追い、因果関係を考え、「なぜ?」と立ち止まる経験を通してしか育たないものです。

おそらく彼は、そうした思考の訓練を、ほんの少ししか受けてこなかった。そしてぜんぜん身についていない

さらに言えば、それは学校だけの問題ではなく、家庭環境の影響も非常に大きいと感じています。子どもというのは、親の言うことは聞きませんが、親のすることは真似します。そういうものです。


誤解してほしくないこと:ゲームが悪いわけではありません

ここで、強く補足しておきたいことがあります。

ゲームが悪いわけではありません。

ゲームが得意なこと自体は、立派な能力です。
反射神経、戦略思考、集中力、試行錯誤する力、これらは間違いなく価値のある資質です。

問題は、

  • ゲーム「しか」やらない

  • ゲーム以外の可能性を、先に切り捨ててしまう

  • 根拠の弱い未来像に、人生を全ベットしてしまう

この状態です。

ゲームに本気で取り組むなら、なおさら「考える力」「疑う力」「学ぶ力」が必要になります。
それらは、勉強を通してしか身につきません。


「思春期だから」で済ませていい問題でしょうか

保護者のみなさまに、問いかけたいと思います。

この状態を、「思春期だから難しい年頃だよね」で片付けてしまっていいのでしょうか。

根拠の弱い情報を疑わず、都合のいい未来像を信じ切り、他の選択肢を自ら閉ざしてしまう。

それは、反抗期ではなく、思考停止に近い状態です。そしてそういう姿勢の子どもは、自立期に来ると誰かに騙されたり、搾取されたりします。自分の知性で自分を守ることができないのだから、悲しいけどそれが現実です。


勉強とは「未来を決めないため」にするもの

勉強とは、将来のための保険です。
しかしそれ以上に、「今、人生を決めなくていい状態」を保つための行為」だと私は考えています。

AIが社会を変えるかもしれない。ゲームが仕事になる可能性もある。それ自体は否定しません。

だからこそ、中学生には「全部を残しておく」力が必要なのです。

安易に未来を断定しないために。
選択肢を減らさないために。
考え続ける力を育てるために。

それが、今この時期に勉強をする本当の意味のひとつだと思っています。


本日も記事をお読みいただきありがとうございました。

本日も記事をお読みいただきありがとうございました。コメント等ございましたら、ぜひメッセージを残してください。

思考する、ということを小中学生に考えてもらえる教材というのはいくつかの良書があります。骨太の内容です。ぜひお読みください。

下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち

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